2009年05月20日
源氏将軍
源氏将軍とは、狭義には鎌倉幕府を開いた源頼朝、頼家、実朝の三代の将軍を指す。広義には頼朝より先に征夷大将軍となった源義仲や室町幕府を開いた河内源氏の同族 足利尊氏を初代とする足利将軍家、源氏を称して江戸幕府を開いた徳川将軍家も含まれる。
俗に、源氏であることが征夷大将軍に任ぜられる条件であるという源氏将軍神話が誕生するものの、もとよりそうした条件は存在しない。もちろん、足利将軍家や徳川将軍家など源姓を称する一族に世襲の官職として独占されていた側面はあるものの、古く遡れば平安時代、征夷大将軍に任ぜられた大伴弟麻呂や坂上田村麻呂以来、征夷大将軍の任免は源氏に限らず、むしろ頼朝の従弟である源義仲が征夷大将軍を拝命されるまで、源氏は征夷大将軍になる資格すらなかった。それは、そもそも、鎮守府及びその長官である鎮守府将軍の職が陸奥に置かれ、平安時代も中期以降は征夷大将軍の任命すら行われなかったし、源氏初の征夷大将軍 義仲もはじめは清和源氏を征夷大将軍にした前例がないとして一度は退けた程である。まして、武家の棟梁といわれる系譜は源氏に限らない。いずれの時代においても源氏でなければ将軍になれないという必然性は存在しない。
確かに清和源氏は武家源氏の代表格であり、東国武士をまとめあげたという点で他の武門を圧倒する家格と勢力を誇った。清和源氏のうち特に頼朝の属した河内源氏は八幡太郎義家のように武勇に名高く、武家の棟梁、源氏の大将、源氏の嫡流と称され東国武士の求心力足り得る家系であった。しかし、一時は源氏を朝敵に追いやり、朝廷の実権を掌握した平家が後に追討の宣旨を受けて、再び挙兵した源氏によって滅ぼされると東国に朝廷の支配を受けない武家政権が樹立され、結果的に源氏が唯一にして最大の武門の棟梁たる氏族としての地位を形成していったことは確かだろう。
とはいいながら、実際には頼朝により初の全国的な武家政権として発足した鎌倉幕府において実朝が暗殺されて以降、頼朝の縁戚とはいえ藤原氏の嫡流である摂家より4代将軍として藤原頼経が招かれ摂家将軍が成立し、後に皇族から宮将軍が招かれたように、源氏でなければ将軍になれないという慣例は鎌倉幕府自身によって否定されている。むしろ、頼朝の同族である清和源氏は外様として処遇されたり、謀叛の疑いにより滅ぼされている。
もちろん、全国の武士の求心力足り得た源氏が将軍であるべきという観念がまったくの幻想であったわけではない。鎌倉幕府4代将軍 藤原頼経が鎌倉に迎えられる際、源氏改姓が評議されたこともあり、また、7代将軍として推戴された惟康親王ははじめ惟康王であったが、後に実際に源姓を賜り源氏となった。後嵯峨上皇の皇子である親王が臣籍降下せねばならぬ理由は朝廷側にはなく幕府側の要請によるとの説もあり、これは幕府の主宰者は源氏将軍たるべき理想や観念が当時、御家人の中に根強かったのではないかといわれている。
しかし、当時、幕府の実権は執権北条氏の手中にあり、将軍の地位はまさに傀儡か象徴的意味しか持ち合わせず、北条氏からしてみれば将軍が源氏として求心力を持つことは回避したい事態であり、事実、惟康親王は臣籍の身から親王宣下がなされた上で将軍の座を追われ、子の久明親王が幼い将軍として擁立され、かつ臣籍降下も行われることなくその後も宮将軍として将軍擁立がなされた。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
私も将軍になりたいです。
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